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How Shantell Martin Charted
Her Own Line to Success

自分だけの線を描き続けて成功をつかんだシャンテル・マーティン 自分だけの線を描き続けて成功を
つかんだシャンテル・マーティン
人気アーティストのシャンテル・マーティンが、コール ハーンCCOのスコット・パットと
Zoomで顔を合わせ、自分の道をいかに切り開いてきたかを語ってくれました。
人気アーティストのシャンテル・マーティンが、
コール ハーンCCOのスコット・パットと
Zoomで顔を合わせ、自分の道を
いかに切り開いてきたかを語ってくれました。

1本の美しい線をペンで描くために、どれほどの経験を積む必要があるか考えたことがありますか? シャンテル・マーティンには間違いなくあります。事実、多彩な分野で才能を発揮する彼女は、1本の線から始まり、顔、言葉、人物からなる複雑な風景を生み出していくアイコニックな白と黒の描画でよく知られています。

その人生においても、前かがみになってノートいっぱいに絵を描いていた孤独なロンドンっ子から世界的に名だたるアーティストへと成長していく過程は、描画同様に複雑なものでした。彼女をサポートするものはほとんどなく、彼女のチャンスなどほぼないように思える地域で育ったマーティンは、ただひたすら強い意志の力と(今も彼女を成功に導いている)鋭い直観力に従って、有名なアートスクールであるセントラル・セント・マーティンズでグラフィックデザインの教育を受けることができました。

そしてその強い意志は今も彼女を成功に導いています。

現在39歳のマーティンが手掛ける大規模なインスタレーション作品は、オキュラスの壁、デイヴィッド・H・コーク劇場の通路、ガバナーズ島の歴史ある「海の星の聖母」礼拝堂など、様々な場所を飾ってきました。ブランドとのコラボレーション、個展、あるいは即興のライブアート・パフォーマンスを目にしたことがある人もいるでしょう。というのも、ロンドンに生まれ、セントラル・セント・マーティンズでアートを学んだ彼女は、より伝統的なアートのキャリアを模索するためにニューヨークに移り住み、以来11年、実は伝統とは真逆のことをして名声を得てきたからです。

スコット・パット: 今日はありがとう、シャンテル。とても嬉しいよ。僕は君の作品の大ファンなんだ。キャンペーンに参加してもらえるなんて素晴らしいよ。

シャンテル・マーティン: こちらこそ、自分の作品が好きだし、そう言ってもらえるとすごくやりやすいし、嬉しいです。

パット: コール ハーンのコアバリューのひとつは、信じることのために働くという考え方なんだ。君のビデオを見て心から感動したのは、作品が直観的なところ、そして君が自分の作品を信じているだけじゃなく、自分が作品をどのように提示するか、自分自身をどのように提示するかに確信をもっているということなんだ。今日は、君がどのようにしてアーティストになったか、どのようにして今の立場になったかを聞かせてくれるかな。

マーティン: その前に、スコット、あなたのことを知りたいわ。

パット: ちょっと待って、インタビューするのは僕だよ。

マーティン: だって、すごい肩書でしょう、コール ハーンのチーフ・クリエイティブ・オフィサーなんて。でも、あなたもアーティストみたいに見えますね。いったいどうやって、アーティストでありながらチーフ・クリエイティブ・オフィサーになれたのか知りたいんです。そんなに多くのことをやっていいって誰が認めてくれたんですか?

パット: 聞いてくれてありがとう。僕は元々、整形外科医になりたくて大学に行ったんだ。生物学やら運動生理学やらいろいろ2年ぐ らい勉強したんだけど、一般教養科目も取らなければいけないから、グラフィックデザインを取ったんだ。授業の初めの頃にやったプ ロジェクトなんか、塩入れと胡椒入れをデザインすることだよ。世界一くだらないプロジェクトだよね。でも、忘れもしない、あると き、夜の9時ぐらいだったかな、工作室でタイポグラフィの課題をやっていたんだけど、あのすごくシンプルな白と黒のフォルムを見 ているうちに、「人生でやりたいことはこれだ」って思ったんだ。絶対これしかないっていう。それはアイディアを結び付きに落とし 込むっていうことだった。コミュニケーションなんだ。それと、アートとデザインの間には似ているところもたくさんあるし、違うと ころもたくさんある。でも、どちらも結び付きという考え方があると思う。靴の仕事を始めたのも、人々の問題を解決するようなこと だと思ったからなんだ。割と医者みたいだよね。人々を助けたいと思ったんだ。

君は、オキュラスのスペースや礼拝堂(May Room )のような大規模インスタレーションの依頼を受けたとき、どういう感じでアプ ローチするの? そのスペースにやってくる人たちの事についてアプローチするの?それとも自分自身の探求との結びつきの事について かな?

マーティン: どちらもっていう感じです。最初の質問、どうやってアーティストになったかっていう質問に答えようとしたら、2人と も何時間も話すことになっちゃいますよ。でも、なんで私がその質問をあなたにしたかっていうと、あなたのようにアーティストであ りながら、さまざまな職務上の責任を引き受けている人にもっと会えたら素敵だと思ったからなんです。ちょっと変わっているなって 思ったし、変わっているほうが素敵だから、言ってみたんです。

礼拝堂に関する質問ですが、自分自身のために作っているのか、ほかの人たちのために作っているのかっていう質問に答えると、こう いうタイプのプロジェクトをやることになったとき、アーティストとしてそれにどう取り組むかという独自の視点を持つっていうこと です。

私がアーティストになったのは、「それだったら自分でもなれる」とか、「それだったら自分でもできる」とか思ったからじゃないん です。私がアーティストになったのは、一方の足をもう一方の足の前に出して、それを何年も何年も何年繰り返してきたから、イエス と感じることにはイエスと言って、ノーと感じることにはノーと言ってきた。そして、私は一生懸命努力したわ。

自分の直観を信じることと、一生懸命働くこと、その組み合わせです。そしてある日、目が覚めて、「わあ、私ってアーティストなん だ」って言ったんです。そんなふうにしながらここまで来ました。育ったのはロンドン南東部のテムズミードっていう場所で、ひとこ とで言えばカウンシルエステート(公営住宅地)。イングランドでも最大規模の。アメリカでは、そういうのをプロジェクトって言い ますよね。

一方の足をもう一方の足の前に
出して、それを何年も何年も
何年繰り返してきたから、
イエスと感じることにはイエスと
言って、ノーと感じることにはノーと
言ってきたからです。

それと、私はすごく一生懸命
努力しました。
一方の足をもう一方の足の前に
出して、それを何年も何年も
何年繰り返してきたから、
イエスと感じることにはイエスと言って、
ノーと感じることには
ノーと言ってきたからです。

それと、
私はすごく一生懸命努力しました。
シャンテル・マーティン

住民層はワーキングクラスの白人ばかりで、あからさまな人種差別と同性愛嫌悪がありました。私みたいに半分黒人でイングランドで育った人間は、「ハーフカースト」って呼ばれました。そのうち、「ミックスト・レース(混血)」と呼ばれるようになって、今は「バイレイシャル(2人種)」って呼ばれています。

まわりの人たちとは毛色が違うっていうこと。私の家族はみんな白人なんです。弟たちも、妹たちも、母も。私の本当の父親は誰か知りません。そういう環境で育つと、最初からアウトサイダーなんです。子どもの頃は楽しくすごすこともあったけれど、家の外に出たらアートなんてないし、本当に期待なんてないんです。学校をちゃんと卒業した子も、両親そろって一緒に暮らしている子も知らないし。自分の父親が誰か知っている子なんて、まず知らないし。

イングランドには人種差別があるけれど、そのうえ階級差別があります。だからどこに行っても、私は、口を開いた途端にジャッジされるんです。特定の階級の出身で、特定の肌の色だから。アートがない場所で育つのって興味深いことですよ。ギャラリーも、美術館も、そういうタイプの施設がないんです。私みたいな人がそういう場所に行くことを応援してくれるシステムも、ほんとにない。私はたまたま真面目な性格に生まれたから、孤独でも大丈夫でした。環境のせいっていうのも少しはあったと思うけれど。いつも、進歩したい、もっとちゃんとやりたい、何でもきちんとしたいっていう強い気持ちがありました。こういう性格もあったし、小さい頃から、イエスと感じることにはイエスと言っていい、ノーと感じることにはノーと言っていいと許可されていたから、アートスクールに行ったんです。

あなたと同じように、私もグラフィックデザインを勉強しました。でも、結び付きやコミュニケーションのことはそれほど考えていな かった。グラフィックデザインを勉強したのは、クリエイティブだと思ったから。でも、芸術と違っていずれは仕事に就けるっていう 考えもありました。クリエイティブだと思ったので、この道を選択したんです。クリエイティブだと思ったし、自分にとってイエスだ と思ったから。でも、手堅いっていう理由もありました。

学校はセントラル・セント・マーティンズ。有名どころで、評判の高いアートスクールですよね。そこを2,000年代初めに首席で卒業 しました。その後で気付いたんです。そんなもの、もっと大きなシステムの中では何の役にも立たないって。特定の人たちに特定の場 所が約束されているんです。あの頃は特にそうでした。今のようにインターネットがあって、SNSで誰かにメッセージを送って、「私 はここにいますよー」っていうわけにはいかなかったんです。

むしろ、見ることができないもの、存在していることを知らないものを、なんとか想像しようとしていました。そういうものを想像す るために、まったく異質なところに行かなければと思いました。文化をまったく知らないから、すべて想像するしかない場所。私に とってそれが日本だったんです。

パット: どうして日本が出てきたの?

マーティン: セントラル・セント・マーティンズで日本人の友だちがたくさんできて、文化やアニメや映画や芸術に興味を持ったから。初めて日本に行ったのは19歳、もうすぐ20歳の頃です。すごいと思いました。だって、あんなところに行ったのは初めてでしたから。みんな同じ人種みたいなのに、みんなすごく違うんです。

それに、日本の人たちは私に「どこから来たの」って聞いて、「ロンドンから」って答えたらそれで終わりなんです。「仕事は何?」とか、「親はどこの人?」とか、「どこの学校に行ったの?」とか、誰も聞きませんでした。そんなふうに接してこられて、すごく解放感がありました。心をつかまれたんです。学校を卒業してすぐ、自分はアートの仕事に就けないってわかりました。コネばかりの世界だっていうことも、その仕組みもわかったから。だから、日本に住もうって決めたんです。異質な場所で、私がどこから来たか誰も知らないし、気にもしない、でも、自分にとって存在しなかった未来を想像できる場所でもあったから。

パット: 君が日本のノイズ・シーンでライブドローイングをしている動画を見たんだけど、どうしてああいう表現に行きついたんだろうと頭をひねっていたんだ。

マーティン: あの当時は、アコーディオンノートにものすごく細い0.05 mmのペンでドローイングをしていて、ノートに覆いかぶさるような感じで描いてたんです。自分の世界に入っちゃう感じで。でも、私、日本に長くいるうちにだんだん友だちができて、そのうちに1人が言ったんです。「わあ、すごく素敵な絵。私、イベントをやる予定で、ミュージシャンを呼ぶんだけど、彼らに合わせて絵を描かない?」って。最初、彼女が考えていたのは、バンドの横にキャンバスを置いて、演奏している間に私が描くっていうことだったんだけど、私の絵はとても小さくて繊細だから、オーバーヘッドプロジェクターの下で描いて、それをバンドに投影してもいいかって聞いたんです。それで、やってみたんです。生まれて初めて日本のアンダーグラウンドの前衛的スペースに行って、楽器を自作するようなノイズバンドと一緒って、想像してみて。完全にワイルドな音楽でした。バンドが演奏を始めて、私はプロジェクターの下で絵を描いていたんだけど、固まっちゃったんです。音楽があまりに変で。私の趣味と全然違ったんです。

それから、素晴らしい体験をしました。私が固まっていたとき、スケッチブックを映したスクリーンは真っ白のままでした。その時、はっと気付いたんです。待っていたら何も起こらないし、観客は私を待ってはくれない。この不安を乗り越えて、ただ描くしかない。ペンが紙の上を動くがままに、行きたいほうに行かせるんだって。だから、そうしたんです。すごい体験でした。我を忘れて、ためらいを忘れて、不安を忘れて、ただひたすら、絵、というか線が行きたいところに行くにまかせたんです。気付いたら45分経っていました。完全に頭がぼーっとして、バンドの演奏が終わり、それから自分が描いたものを見たら、「ワオ! すごいじゃない!」っていう感じだったんです。自分が何をしたのか、まったくわかりません。でも、あれこそが私なんです。

パット: 君は、どの絵も1本の線から始めるってよく話しているね。そのやり方の始まりが、その瞬間だったっていうこと?

マーティン: 抽出した自信を線に込めるっていうことが生まれた瞬間です。絵を描くことはずっと好きでした。子どもの頃から、アートスクールに通っている時もずっと。でも、いつも線がちょっと心もとない感じだったんです。昔の作品を見ると、とても不安げです。ちょっと絶望している感じ。言葉が多くて、とても暗いんです。

ライブで描くようになってから、だんだん明るいほうに向かっていきました。私は性格的にちょっと暗くて、ちょっとネガティブなんです。今の私の作品を見ても想像できないでしょうね。でも、ライブで創作するあの自由な感じ、そして、私の芯にあるものを抽出して紙の上に出すっていうことが、すごく希望を与えてくれたんです。それと、闇から光に向かっていきながらも、そこにつながりを持たせるようにするっていう哲学も。

ライブで創作するとき、観客が一緒になってくれます。作品にエネルギーをくれて、その場の空気の一部となって、ストーリーの一部となる。あの体験、みんながつながっている感じは、魔法のようでした。あの瞬間が、今のキャリアにつながっています。

パット: 君の曲がりくねった言葉を読んでみたんだ。思考の流れなんだけど、それよりもっと、その瞬間に出てくる言葉だね。瞑想的というか。問題を解決していく、あるいは何かのプロセスのような感じかもしれない。

マーティン: 私にとって言葉と線は同じなんです。自然発生的なものと直観が混ざり合っていて、でも、根本のところでは構造や観念を意識している。何年も前の絵や字を見ると、今私がやっていることにかなり似てます。今やっていることはすごく新しいって感じてはいるんですけれど。それはなぜかっていうと、字を書いているときも、絵を描いているときも、そこにはいつも自分がいる。本質的に、芯の部分で自分は自分なんです。私がやっているのは、その芯の部分、それと今の瞬間感じているものを引き出すこと。

外側の自分は進化し、変化していると感じるし、実際に多くの面でそう感じますけれど、それと同じぐらい変わらない芯の部分があります。その瞬間のドローイング、その瞬間のライティングをやっていると・・・・・・私はライティングのことをランブリング(rambling:当てもなく気ままに歩き回ること)って呼ぶことがあるんですが・・・・・・その瞬間のランブリングをやっていると、その芯の部分に触れていくんです。そこに、変わっていないという感覚があるし、その変わらない部分が本質的に私という人間なんです。

パット: ひとつとても興味深いのは、色彩から白と黒に、非常に意識的なストイックな色づかいに移行したことなんだ。

マーティン: テーマは、ほかの人たちとかかわるときに生まれると思います。ダンスフロアで踊っている人たちや、コラボレーターや、あるいは彼らの体に直 接描く場合もありますが、その時、彼らが作品に色をもたらすんです。作品の表面と私の 相互 作用には、私だけじゃなくて、その間に人々がいる。私にとって、白と黒は色がないという意味じゃありません。未熟さと熟達という意識があるんです。

色を使えば、何かを隠すことは簡単です。でも、私の歩く道では、できるだけ率直で正直であろうとしている。そして、1本の線ほど率直で正直なものはありません。1本の線からたくさんのことがわかりますよね。自信、あるいはためらいがあるのか、あるいはちょっと練習してきたのか。

白と黒の作品が好きなのは、そういう未熟さを隠すことができないから。自信がなければ上手になれません。それに、白と黒だと、どこを見たらいいか指示できませんよね。私は命令者になりません。色は、その性質上、作品をどう見るべきかを命令してしまう場合があります。だって私たちは動物だから、人間だから、色に対する見方にヒエラルキーがある。でも、白と黒ならありません。私が200フィートの壁画を描いて、100人の人がその前を通って、全員が違う場所を見ているっていうのがいいなと思います。

たぶん、次にまた前を通ったときは新しいことを発見するんじゃないかな、そういう再発見のための余白を作るんです。ここを見なさいって命令しない余白を作るんです。何もない余白を作るんです。だから、得意である必要があるんです。

パット: そういう勇気や直観がしぼんでしまう時ってあるのかな。話を聞きながら思っていたんだけど、君が直観に従って創作しているとき、ほら、その日その日で違うよね、それはどういう風に流れに影響するんだろう?

マーティン: 信じることができる何かがあるか、です。自信があれば認 められることになります。認められれば、信頼につながります。そして実践につながります。昔は、線を描いたけれど、それがしっくりこないという瞬間がありました。というか、私がしっくりこなかったんです。そういう瞬間を分 析してみると、その時、私はほかの誰かになろうとしていた。あるいは、ほかの何かを真 似しようとしていました。あるいは、 ふと心に 疑いを 持ってしまっていました。あるいは、ほかの人が作品をどう思うだろうと気にしていました。そういうものを全部 押しのけて、これが自分なんだ、これが自分の線なんだ、自分が作っているものには良い意 図があるんだとわかったから、ずっとこの道を歩き続けているんです。そんな感じ。

パット:ついに線を成長させることができたと思ったのは、どういう時?

マーティン: 熟達とは焦らないことだと考えています。すべてをやろうとせず、自分がこの人生で達成できるひとつのことを考えるという考え方です。文字通り地上の人なら誰でも線を描けますよね。

でも、私の線を見たら、これはシャンテルだってわかってもらえるでしょう。見た目も形もシン プルなのに、ぱっと見てわかってもらえる域まで達するには、ものすごい努力が必要です。私にとっては、それが到達 するっていうことです。一生懸命努力するからこそ、熟達 とは自分なりの何かを 持てるレ ベルまで 練習 を積むことだって思うんです。そして、自分なりの線を持てるようになって、誰が見ても自分だとわかるようになったら、自分の線になるんです。

パット: 今回コール ハーンのキャンペーンで、自分自身のルールを書くっていうコンセプトを考えたとき、「ルールを破るには、ルールを知らなければならない」っていう格言を念頭に置いたんだ。君は、プロセスの中で使っているルール、あるいは意図的に使っていないルールはある?

マーティン: 絵を描く人はほとんど、自分の限界を設定している、というかある意味で自分自身に制約を課しています。私の場合、絵を描くことはアルゴリズムなんです。それは構造であり、システムである。とても自然発生的に、とても直観的に絵を描いていて、かなり気まぐれな感じであるのだけれど、実はすごく構造的なアプローチがある。たとえば、最初に描き始める時は、キャンバスをあっちに行ったりこっちに行ったりしながら、始める場所はここだっていう心の声が聞こえるまで待ちます。

それからスタートして、線を長く、風のように、そしてできる限り大きな動きを持たせて、線が私に止まれと言うまで描きます。最初の線を描き終わったら、それを私は「DNA」って呼んでいるのだけれど、その構造の中にどういうタイプのポケットや形状ができているかを見極めようとします。そうしたら、それらの形状に何を入れたらいいかはもうわかっています。というのも、すでに一定の言語、つまりある種のポケットや形状に入るアイテムのカタログができているから。

三角形のような形があれば、それは鳥になります。ほとんど地面だなと感じる部分があれば、風景を描き込みます。頭の中にすでにパズルのピースがあって、アウトラインに沿ってそれを作り出しているんです。絵を描く人の多くは、ある種の言語やパターンやアルゴリズムを持っているみたいです。それは基本的に、それぞれのスタイルの構成要素です。

パット: では、シャンテル、君にとってそのアルゴリズムは常に進化し続けている?

この機会に是非メッセージを
伝えたいんです。
自分で自分のチャンスを切り開けば、
望むことを成し遂げられるって、
みんなにわかってほしいんです。
この機会に是非メッセージを
伝えたいんです。
自分で自分のチャンスを切り開けば、
望むことを成し遂げられるって、
みんなにわかってほしいんです。
シャンテル・マーティン

マーティン: それを試してみるのは大好きです。私の人生のさまざまなポケットで試してみました。何年か前、100個のDNAを描いたことがあります。紙に線を描いたら、その線はDNAなんです。

その線を100回コピーして、どこかのクローゼットにしまい込んだんです。それから2~3カ月おきにそのDNAや別のDNAを取り出して、空いている部分に何か描き込んで、2~3年後に描き終わった全部のDNAをひとまとめにしたら、「オー、ワオ、この何年か私がやってきたことはこんなに一貫性があったんだ」と思ったわけです。でも、新しいキャラクターが登場したり、古いキャラクターがいなくなったり、新しい言葉が登場したり、古い言葉がなくなったりはしました。進化は、さまざまな形で現れます。新しい言葉、新しいボキャブラリーが、言語に、すでに私が持っている構造に加わったりする。それから、コラボレーションや媒体を通して新しい進化が起こることもあります。それは、回路基板の仕事だったり、神経科学者や家具デザイナーとのコラボレーションだったりします。

こんなふうに、さまざまな媒体や産業やコラボレーションを通して、私の言語のさまざまな使い方を模索しています。

パット: 君と、キャンペーンのもう1人のアーティストは、自分自身のルールを書くと決めているみたいだね。今起こっている政治的混乱や、社会正義の問題や、新型コロナウイルスの感染拡大は、君の決定に影響を及ぼしている?

マーティン: 私が書いたルールを使いたいと思いました。それは、「自分が利用できるものを使って、自分で自分のチャンスを切り開きなさい」っていうこと。それがルール、というか、大勢の人が私にどうやって今の私になったのか聞いてきたときにアドバイスすることなんです。いつも、自分で自分のチャンスを切り開かないといけないって言います。ほとんどの場合、気前よく資金や資源を与えてくれるような人たちはいませんよね。自分で何とかしないといけないんです。この機会に是非メッセージを伝えたいんです。自分で自分のチャンスを切り開けば、望むことを成し遂げられるって、みんなにわかってほしいんです。自分で自分のチャンスを切り開かなければいけないっていうのは、誰かが自分のことを気にかけてくれる前に、まず自分が自分のことを気にかける必要があるからです。それに、もしそうじゃなかったら、いつまでも「たら、れば」を繰り返すかもしれませんよね。もし自分にお金があったら、もし自分に指導者がいたら、もし自分にギャラリーがあったら、もし自分に弁護士がいたら、もし自分にマネージャーがいたら、もし、もし、もし・・・。誰かに与えることができる最高の贈り物のひとつは、本当に地べたからやっていいよ、自分が持っているもの、今の自分からスタートしていいよと許可してあげることです。

このプラットフォームを利用してそういう許可をみんなに与えることが、私にとって重要だったんです。

パット: 素晴らしいことだね。現在、自分自身に課している個人的なルールはある?

マーティン: 知ってる人はわかるけど、私はすごく真面目なんです。すごくプロフェッショナルで、私の人生は自分に課しているルールだらけです。そうやって生きているんです。だから、その質問に答えにくいですね。だって、私は本当に決まった時間に寝ないといけないし、決まった時間に起きないといけないんです。散らかった場所では生活できないし、何でもきちんと整理されて、決まった場所にないといけないんです。私はそうやって生きています。こういうルールは、時にはほかの人にも役立つことがあり、時には私の風変わりな癖に耐えられるのは私だけっていうこともあります。

パット: どうしてそういう自分の規律を作り上げたの?

マーティン: 6人きょうだいの1番上として生まれ育って、母親がシングルマザーとして苦労していて、妹たちは学校に行かない、母親は学校に行かなかった、まわりの誰も学校に行かない、生活するいたるところにドラッグとアルコールがあるという状況でサバイブするには、小さいころから自分を律する必要があったんです。

その方法を誰かが教えてくれたら良かったなって思いますよ。でも、コントロールが生き残るためのメカニズムになったんです。私が育った環境の中で安全と構造を作り上げるために、私がやったことです。今では、それが人間としての私になっています。

パット: 間違いなくそれは、素晴らしいものに具現化しているね。このプロジェクトに素晴らしいパートナーを迎えることができて心から感謝しているし、もちろん君にもだよ。ありがとう。

マーティン: こちらこそ、本当にありがとう。

このインタビューは、長さを調節し、文意を明確にするために編集および要約されています。
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